銀の風

二章・惑える五英雄
―16話・裏通りの不思議な絵本―



ルージュに案内された場所は、表通りからはるかに離れた裏通り。
昼でも薄暗いこの場所は、ミシディアでも有数の裏社会のひとつだ。
ミシディアは平和主義者が多いといわれるが、
人が多い以上全てがそうではない。
現にここには、一般の魔道士たちには忌み嫌われる魔道士たちが居る。
彼らはルージュのような妖術師であったり、
闇魔法を使う闇魔道士や、禁忌に手を染めた暗黒魔道士など、
それぞれが恐ろしい魔法の使い手である。
ここではそれらの魔法の特徴上、人間の魔道士よりも他種族の魔道士のほうがより強い勢力を持つ。
無論、彼らに関わる闇商人や盗賊などもかなり多いという。
日当たりが良くないことも相まって、非常に薄気味悪い。
治安も相当悪く、ぼうっとしていればいつ襲われるか分からない。
事実、よく隅の方に身包みを剥がされた魔道士が転がっている。
だがこんな状況でも、長老は黙認するしかないという。
「お前ら、ぼさっとしてると身包み剥がされるぞ?」
ルージュが意地の悪い笑みを浮かべた。
その言葉で面白い位怖がったフィアスが、リュフタにひしっとしがみつく。
「こ、これやからパープルは意地が悪くてあかん……。」
首でも絞まりかけているのか、リュフタはかなり苦しそうな声だった。
「んー、ごろつきが剥ぎに来たら逆に俺が剥ぐ。」
約一名不穏な発言をしているが、ルージュは軽く聞き流した。
アルテマはというと、陰湿な空気に不快そうに眉をしかめている。
「さ、ついたぞ。ここが、俺のお勧めだ。」
案内された店は、古びた建物によく溶け込む、くすんだ色の看板がある店。
あまり大きくはなさそうだが、時代を感じさせる。
本屋「獣道」と看板には書かれていた。
「よぉ、ジョセフのおっさん生きてるか?」
立て付けが悪い扉を開け、ルージュが冗談交じりにそういった。
すると、薄暗い店の奥から無精髭を生やした壮年の男性が出てくる。
「ルージュじゃねえかい。おう、相変わらず俺はしぶといぜ。
いいねえ、ドラゴンは相変わらずかわんねえ事でよ。」
人がよさそうな風でいて、何処か毒がありそうな笑い。
これが裏通りの住人なのだろうか。
もっともこの位で無ければ、ルージュの挨拶にもいちいち腹を立てなければならない。
「んで、今日も本探しに来たのかい?
あいにく今日はお前さん好みのもんは入ってねぇぞ。」
ジョセフはガリガリと頭をかきながら、本の整理をはじめた。
一見普通の本のようだが、どれも表の本屋では売れない本。
いわゆる発禁本という奴だ。
具体的には、裏通りの魔道士達が使う系統の魔法の本、
あるいは内容が過激すぎて、規定に引っかかったもの等である。
要は、社会的に危険な本達のことだ。
「いや、今日は後ろの奴らに漁らせるだけだ。
おいお前ら、分からなかったらガンガンこのおっさんを質問攻めにしちまいな。」
ルージュはけらけら笑いながら、リトラ達にそういった。
それを聞いたジョセフは、わざとらしいまでに慌てた様子を見せた。
「おいおい、お前な〜!」
苦笑いを浮かべながら、今度は本の陳列を始めた。
フィアスが、すでに並べてあった一冊の本に目をつける。
それはかなり古いものらしく、端の方が変色していた。
「ねーリュフタ〜、これなんて読むの?」
一見子供向けの絵本にしか見えないが、
題名が古語で書かれている。知識が無ければ読めない代物だ。
「え〜っと……『悲しい導師』やって。何か、暗そうやな〜。」
リュフタは本を前足でとった。
中をぱらぱらとめくる。どこと無く、色使いも暗い。
内容は童話のようだが、その割に描写が細かく、少々言葉が難しい気がする。
挿絵はきちんと入っているとはいえ、やや少なめ。本当に子供向けなのだろうか。
「ねえおじさん!読んでもいい??」
ジョセフに声をかける。
「ん〜……まぁいいさ、絵本だしな。気に入ったら買ってくれよ。
それ、ちょいと面白い仕掛けもあるしなあ。」
含みがある笑みを浮かべ、まあ読んでみりゃ分かると言いたげだ。
「みんなも見るー?」
リトラは少々興味を示したが、アルテマやルージュはそっけない。
まあ、外見が10歳ともなれば、いい加減卒業しているから当然だ。
「結構年行っててもいけそうやから、おいでおいで〜★」
リトラは普通に、他の二人は仕方なさげに近寄って来た。
リュフタを囲んで、とりあえず聞くことにした。
「え〜っと……なんやこれ、結構古いな〜……。」
言葉は恐らく、ミシディアの大陸に、外界の難破船が漂着した辺り。
大体、500年ほど前に当たる。
「んじゃ、読むで……」
リュフタが、ふうとため息を軽くついた。

『悲しい導師』 作者不詳 写本回数不明
はるか昔、気が遠くなるさらに昔のこと。
ミシディア国の前身とも言うべき、魔法国家が栄えていた頃のことです。
人々は神のお告げに従い、暮らしていた典型的な古代国家の時代。
当時の魔道士は、学問を学ぶことが出来た、上流階級の男子や神官に当たるものだけでした。
従って、女性で魔法を使うものは、非常に限られておりました。
そんな中、異例の出世を果たした一人の女が居ました。
彼女は、古魔法と白魔法を扱う導師にまで上り詰めたのです。
同じ位の古魔法と黒魔法を扱う魔人は、彼女より20も上でした。
女の身で、23という世間では行き遅れの年とはいえ異例の若さです。
彼女の実力に舌を巻く男の魔道士達の多さもさることながら、
それに嫉妬する者たちも数知れず。
しかし、長老に次ぐ地位を得た彼女に逆らうことは認められないのも、また事実。
結局、周囲の者達はただしたから見上げるだけです。
そんな彼女でしたが、更なる高みを常に目指しておりました。

ところが、ここで女という壁が立ちはだかっておりました。
長老や導師・魔人だけが立ち入れるはずの場所は、女人禁制だったのです。
その事に関しては長老も考えましたが、
結局話し合いの末、立ち入りを認められませんでした。
彼女は、このときほど女に生まれた事を恨んだことはありませんでした。
しかし、彼女はそこで考えました。
どうせ男でも、人である以上高位の種族ほどの知識や力は得られないのです。
それならば、いっそ魔の者と契約してしまおうか。
しかし、彼女はそこで思いとどまりました。
契約は、最大の禁忌。これを犯したものは、皆殺されて歴史から消されているのです。
そこまで考えてしまうほど、彼女は知識を欲していたのです。
そんなある日、彼女は長老の言いつけで仲間と薬草の採集に近くの草原に出かけました。
恵みの秋で、今年は特に沢山取れそうです。
仲間も彼女も、楽しげに採って行きます。
が、夢中になりすぎていたのか、すっかり仲間と離れてしまいました。
いくら魔法の使い手とはいえ、茂みから突然魔物でも出てきたらかないません。
慌てて戻ろうと来た道を引き返そうとしました。
すると、後ろから突然若い男と思しき声がしました。
呼び止められて振り返ると、
そこには見たこともないほど整った顔立ちの若い男が立っていました。
きれいな夕日色の髪が印象的で、瞳の色などは、月を閉じ込めたような珍しい色。
どこかの貴族でしょうか、上質の布をふんだんに使った、暗い色の衣装を纏っています。
若い娘の常で、思わずぽうっとなって我を忘れて見つめてしまいました。
「道に迷ったのか。」
と、彼が尋ねてきましたのではっと我に返りました。
そうです。と、答えると男は途中まで送ろうと申し出ました。
見知らぬ男にそのようなことを頼むのは気が引けるのですが、
一人では危ないと思ったので、その言葉に甘えさせてもらうことにしました。
帰る途中、二人は魔法の話で盛り上がりました。
男は、導師も長老でさえも知らない知識を沢山持っていました。
それは、彼女が求める未知の知識そのものでした。
彼は、彼女の仲間が見えてきたところで別れますが、
もしもっと話をしたければ、またこの草原に来るといいといって魔法で消えました。
その時、彼が何か落としたので、気づいて拾い上げますと、
きらきらと光る紅い石のついたピアスのように見えます。
しかし、魔力を秘めていることが感じられます。
彼女は、それを持ち帰って調べてみることにしました。

持ち帰ったピアスの原材料や力を調べようと、あちこちの文献を彼女は漁ります。
しかし、どうにも正体がつかめないまま。
気がつけば、一週間過ぎていました。
分からない上、もうそれだけ日が経っていては持ち主に返しに行くしかない。
そう思いった彼女は、今度は一人であの草原に向かいました。
驚いたことに、一週間経ったことにもかかわらず、彼はまたそこに居たのです。
彼女は少々驚きましたが、気にせずピアスを彼に返しました。
「ありがとう。」
と、言って彼はそれを受け取ります。
そして、彼女はピアスのことが知りたかったので、聞いてみる事にしました。
「それは一体、何で出来ているの?」
そう尋ねると、彼は笑ってこういったのです。
「私が居た国で、時々取れる石と金属だよ。」
具体名を明かしてくれないという事は、はぐらかしたということなのでしょう。
彼女は少しばかり不満でしたが、それ以上尋ねることはしませんでした。

「この辺りから、何ページか消えかけてて読めへんなぁ……。」
リュフタが、困った顔で呟いた。
「あ〜、悪いな。それ、かなり古いからよ。
前にそれを写したのは奥にあるけど、今は出せねえからそれで勘弁してくれ。」
作業を続けながら、ジョセフがわびる。
仕方ないので、その数ページは飛ばすことにした。

何度も会ううちに、二人はだんだん親しくなっていました。
それは勿論道理のことで、そうならない方がおかしいというものです。
導師は、彼に気に入られたのでしょう。
男は最近、彼女が草原にやってくるたびに何か贈り物をよこすようになりました。
二人が深い仲になる事には、そう多くの時間は要しませんでした。
やがて男が導師に求婚し、彼女がそれを受け入れたのです。

今まではこっそりと会う他なかった二人ですが、
彼女の方から長老に正式に仲を認めてもらいたいと提案しました。
彼女の国での夫婦とは、長老に祝福された男女だからです。
提案に別段嫌がる様子も見せず、彼は彼女と共に神殿へ行ったのです。
長老には事前に申し出ていたので、奥の間には長老の姿がありました。
「ほほう、そなたがこの者の……。」
長老は、穏やかな表情で二人を見つめます。
「はい、この方がわたくしの夫となる方です。」
恭しく、長老に導師は頭を下げました。
そんな彼女に優しく寄り添う男。
その様子を見た長老は、長年の経験で分かるのでしょう、二人を祝福することにしました。
「この二人に、レムリア様の祝福があらんことを。」
長老が、導師に月桂樹をかたどった銀の腕輪を二つ、そっと手渡します。
これは、晴れて夫婦と認められた二人のうち、女性だけに渡されるもの。
男性には、女性から直接渡されるのです。
「それでは……くれぐれもこの導師を頼みますぞ。
その娘は、わしらにとってかけがえのない娘ゆえ。
もしも何か……」
長老が男にそう告げた瞬間、
男の瞳に何か冷たいものが浮かんだように見えました。
その時長老の体に走った戦慄は、とても口に表せないほどの衝撃でした。
何か、とてつも無いものを挑発してしまったかのような、そんな衝撃です。
一瞬、圧倒的な魔力に潰されかけた。そんな気がしました。

それから1年ほど。二人の間に、可愛い女の子が生まれました。
顔の造作がしっかり分かる頃合になると、
その可愛らしさは一段とよくわかるようになりました。
賢そうな、男譲りの瞳の色。そして、導師譲りの蜜柑色の柔らかな毛。
ところが不思議なことに、その子の魔力は母親である導師よりはるかに強かったのです。
戸惑った彼女に、男はこう告げました。
「実は今まで黙っていたが、私の正体は魔神だ。
このこの魔力が異常に高いのは、私の魔神の血を色濃く継いだからだよ。
やはり、驚かせてしまったか?」
彼の予想通り、導師は大層驚きました。
まさか自分が愛する人が、魔法を司る神とは夢にも思わなかったからです。
けれど、それで彼や娘に対する愛情は全く揺るぐことはありません。
それはきっと、彼女の愛がそれだけ深く固いものだったからでしょう。

しかし、彼らには悲劇の足音が静かに迫っていたのです。

幸せな日々は、ある日突然打ち崩されました。
それは、ある日の長老とその側近達の会議の時。
ふとしたきっかけで、導師が産んだ赤ん坊の事が話題になったのです。
最初は議論の後の軽い雑談でしたが、
一人の魔道士の一言がきっかけで一転します。
「あの導師が産んだのは魔の者ではないのか。」
その一言で、長老は初めて導師の夫となった男にあった日の事を思い出しました。
己に戦慄を覚えさせた、冷たい瞳から感じた何か。
今思えば、あれ魔の者だけが持つものではないのかと思いたったのです。
「そういえばあの男……。
こうしてはおれん、あの導師を娘共々追放するのじゃ!」
長老のその一言で、導師は娘と共に生まれ育った町を追われ、
遥か辺境に存在する、山のふもとの洞窟まで逃げました。
それから数日、妻と娘の顔を見に町へ訪れた男に、長老は言い渡しました。
「汚らわしい魔の者よ!残念じゃったの、もはやここにはお主の妻と娘はおらん!!
よくも、わしらの目を欺きおったな!!」
声を荒げる長老と対照的に、男の表情は水を打ったように静かなものでした。
しかし、その瞳は剣よりも鋭く、凍てついています。
彼はすっと目を細めると、淡々と言葉をつむぎ始めました。
「ほぉ……ずいぶんと出すぎた真似を。
全く、誰の恩恵で魔法を使えると思っているのか。
これだから、至高神の出来損ないの玩具はな。」
その言葉を言い放つと、彼の姿が強い光に包まれて一瞬で変貌を遂げました。
その瞳は高貴な銀色に輝き、少し沈んだ金髪は、端の方だけが夕日色。
衣装は黒を基調としたモノトーン。数多く身につけた装飾品が、上級の神の表れなのでしょうか。
天魔大戦に名と姿がのこる、魔神の姿そのもの。
目の前に突きつけられた事実に、長老さえ身動きすら叶いません。
まるで、魔神の身から溢れ出る魔力に縫いとめられたかの如く。
「あ、あぁぁ……。」
絞り出した声は、言葉となることすら叶わず。
恐怖に凍てついた彼らを、冷酷で妖しい瞳が見据えました。
「愚かで卑小なる人間どもよ。
我に逆らったその代償、汝らの命で償ってもらおう。」
彼の周りで、膨大な魔力が集まり始めます。
空間が軋むような、低い地響きに似た音が響き始めました。
「―――シュテルネン・ナハト。」
詠唱も精神集中さえもなしに、低い声で短く言い放たれた魔法の名。
それは、人が決して扱うことが出来ない古魔法の最高術の一つだったのです。
闇のシュテルネン・ナハト。
昼にもかかわらず、空に現れた星と月が強い光を放ちます。
辺りはいつの間にか夜へと変り、そこから降り注ぐ無数の小さな光。
空を流れる流星のごとき美しいそれは、瞬く間に触れたものを闇へと帰す。
辺りは流星が残した黒き空間に染まっていきます。
全てを闇へ飲み込むと、やがて夜の帳は上がり、
空は再び元の太陽の支配下に戻りました。
しかし、魔神の周りにはもはや何も残ってはいませんでした。
美しかった町は、全て闇へと帰してしまったからです。
魔を恐れた長老達も、何も知らなかった町の民も、
それらに飼われて日々を謳歌していた動物達も。
そして、人々が長い歳月をかけて作り上げた神殿や家々さえも。
魔神の怒りに触れ、全てが一瞬で消えました。
生き残ったものはいたのでしょうか。
町を追われ、辺境へ落ち延びた導師と彼女の娘はどうしているのでしょう。
全てを無に帰した魔神は、何を思うのでしょうか。

その後は、誰も知りません。

ここで、本は終わっていた。
しかし、その後ろに残る何ページにも渡る白紙はなんだろうか。
思わずリュフタは、首をかしげてしまった。



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裏通りの本屋登場です。サブキャラの店主に名前がついているのは、趣味なので。
人様の話でも、いい味を出したりするイカス脇役は大好きです。
それにしてもこの話……ほとんど童話?で埋まってしまってますねえι
ま、まぁ次回は普通なので。
(2003 3/5続きを読みやすいよう、―前へ― ―次へ― のリンクを追加しました。